裏切られた楽観
この夏の参院選以来、多くの識者の脳裏を去来してるのは「いよいよ日本にもポピュリズムの時代が到来したのか」という思いではないか。自公連立が衆参両院で過半数割れとなり、多党化が一気に進んだ結果、政策の先行きは読みにくくなっている。
この点、筆者自身はごく最近まで「日本では欧米諸国でみられる極端なポピュリズム政治は避けられるのではないか」と比較的楽観的に考えていた1。
その最大の理由は、人手不足の深刻化にある。確かに、ジニ係数などでみると経済格差は拡大傾向にあるが、最悪だったのは金融危機により日本的雇用が崩壊し、非正規雇用が急増した就職氷河期であった2。今でも非正規雇用の絶対数は減っていないが、これは高齢者が定年後も嘱託などの非正規雇用で働き続けている結果であり、本来は正規雇用を望むが、不本意ながら非正規の職に就いている「不本意非正規」の人数ははっきり減少している。実際、今では就職戦線は完全に売り手市場と化しており、かつて流行語だった「ブラック企業」という言葉を耳にすることも少なくなったのではないか。
一方、外国人問題について言えば、そもそも日本に在住する外国人の数自体が欧米諸国に比べて圧倒的に少ない(G7諸国では10%強のイタリアから20%超のカナダまで幅広く分布するが、15%程度の米国などが平均的。これに対し日本は僅か3%)。しかも、人手不足が深刻化しているから、日本人の雇用を脅かす心配もあまりない。それどころか、介護や飲食をはじめ、外国人の雇用なしには産業が成り立たない分野も多いことは誰もが知っている筈だ。
本稿は財政ポピュリズムを主な論点とするため、ここで外国人問題についてもう少しだけ述べておこう。まず、外国人の犯罪増加、福祉ただ乗りといった批判は単純に事実誤認である。外国人の犯罪は減少傾向にあるし、日本に住む外国人は公的保険に加入し、保険治療を受けることができるが、外国人の平均年齢は低いので、保険料に比べ治療費は少ないという特徴がある(保険財政にとってはプラス)。
もちろん、外国人の不動産取得などについては規制の是非を議論する余地があるし、その他にも外国人を巡る制度の運用に問題点は少なくないだろう。
しかし、その背後には日本政府が「いわゆる移民政策は取らない」としながら、経済的メリットがあれば外国人でも外国マネーでも積極的に受け容れるというダブル・スタンダードを維持している結果、なかなか必要な制度の整備が進まないという問題があるのではないか。そうした中で、SNSを中心にフェイク・ニュースが飛び交っているという図式だろう3。
現役世代の不満の高まり
しかし、冒頭にも述べたとおり、参院選の結果は事態が想定より遙かに深刻なことを示すものだった。恐らく筆者らは、現役世代の不満を過小評価していたのだろう。そして、問題の根っこには少子高齢化時代の社会保障における消費税の役割を国民に十分説得できていなかったという失敗があるのではないかと思う。
周知の通り、消費税は1989年に初めて導入されたものだが、その時に考えられていたのは、①今後は高齢者の人口が増えるため、年金、医療費などの社会保障費が大幅に増加して行く、②一方、現役世代の人口は増えないので、社会保障費を勤労者の所得税だけで賄っていくのは難しい、だから③高齢者にも税負担を求めることができる消費税の導入が望ましい、というものだった(これは大変に説得的な議論だ)。実際、89年には3%の税率で消費税が導入される一方で、「直間比率是正」の名の下に所得税率の引下げが行なわれたのである。
問題は、この消費税に対する国民の反発が予想以上に強かったことだろう。
実際、消費税導入の前も後も、消費税の導入、税率引上げが議論の俎上に上る度、その時の政府・与党は選挙での敗北など、国民の反発に直面してきたことは皆が知る通りだ。正直に言って、この国民の反対を経済合理的に説明するのは難しい。消費税の逆進性が問題とされることが多いが、それを言うなら高所得者の保険料率に上限のある社会保険料の逆進性の方が著しい。
結局、日本の家計への課税の殆どが源泉徴収(天引き)で課税の実感が乏しい中で、消費税は買い物をする度に税負担を実感するという心理的抵抗の存在に尽きるのだろう。この結果、十数年前までは「消費税率はいずれ20%程度まで上がる」という見方が専門家の間では一般的だったが、今では「財政危機が切迫しないと、大幅な消費増税は難しい」との見方が多くなっている4 。
こうした消費増税の困難に直面した政府は、主に次の2つの対応策を採ることとなった。
その第1は、社会保険料の引上げである5。その背景には、消費税は国会で法改正を行なわない限り税率を変更できないが、社会保険料の引上げは政省令の改正で済むという手続き上の簡便さがある。だから、社会保険料は大きな論争を呼ぶこともなく、上がり続けてきたのだ(図表1)。
(図表1)勤労者世帯の収入に対する負担率の推移

出所)谷口智明「家計調査からみる税・社会保険料負担」、第一生命経済研究所(25年4月)
第2は、社会保障費以外の政府支出を徹底的に抑制してきたことだ。実際、OECD諸国の政府支出の内訳をみると、日本では人口高齢化を反映して社会保障費は比較的多いが、それ以外は極端に少ないことが分かる。

出所)財務省「日本の財政関係資料」(25年4月)
これらのデータをみると、まず第1に、ごく最近まで賃金(給料)が殆ど増えなかった中で、社会保険料ばかりが増加していた6のだから、可処分所得(手取り)は全くと言って良いほど増えなかったことが分かる。第2に、社会保障費以外の政府支出が徹底的に抑え込まれていたのだから、当然ながら教育関係費、科学技術振興費、積極的労働政策経費(今時の表現を使えばリスキリング費用)も、諸外国に比べて抑制されてきたことになる。こうした財政面の制約が、定量的にどれだけ日本の潜在成長率(とくにTFP)低下に寄与したかは定かでないが、決して無視できるものでなかったことは容易に想像できよう7。
当然、政府もこうした問題は理解しているから、第二次安倍政権以降は「全世代型社会保障」を掲げて子育て支援や教育無償化に注力している。しかし、国民皆婚は遠い昔の話であり、今では低所得層や非正規雇用者の未婚率は大幅に高まっている。この結果、子育て支援に力を入れても出生率の低下にはなかなか歯止めが掛からない一方、低所得層などの眼には「恵まれた人達への補助金」と映ってしまっている可能性がある。
こうした現役世代の不満を集約したアピールが「手取りを増やせ」だったのだろう。参院選でも各党が減税や給付金などのバラマキ政策を競ったが、今後も当面はバラマキ政治が収まりそうにない。
求められる熟議の政治
しかし、筆者が7月の本欄で論じたように、日本財政の先行きは決して楽観を許すものではない8。
日本国内では、未だに「財政赤字が増えても問題はない」といったMMT9のような議論がSNSを中心に拡がっているが、金融市場ではこの春以来長期金利の上昇が目立っており、そこには政治の多党化に伴って財政赤字が膨らむことへの懸念が反映されているとみられている。
また、日本経済新聞と日本経済研究センターが今年5月に行なった経済学者を対象とする意見調査(エコノミクス・パネル)の結果をみても、「消費税の一時的減税は不適切」との回答が全体の85%を占めており、専門家の間では財政慎重論が圧倒的な多数派であることが分かる。確かに現状、脱デフレに伴う税収増から財政赤字はやや減っているが、これは①名目GDPが増えると直ちに税収が増加する一方、②国債金利は新発債の分しか増えない、というタイム・ラグの結果であることを市場も専門家も理解しているからだ(実際、金利上昇開始から時間が経つにつれ、国債費は急増を始めている)。加えて、防衛費増額など社会保障以外の財政需要も高まっていることを忘れてはならない。
もちろん筆者とて、現下の環境において財政再建策が与野党で直ちにまとまるなどといった幻想は抱いていない。自公が両院で過半数を失った結果、政治的コンセンサスを形成することが著しく難しくなったことは否定できないからだ。しかし、自公過半数割れは同時に、野党側に「具体的な対案なしでも、政府・与党案に反対していればいい」という気楽な態度を許さなくする。
だからこそ、今求められるのは熟議である。熟議のための環境はむしろ整いつつあるとみることさえできるだろう。筆者としては、以下の2つの問に対して、各党が責任を持って根拠のある回答を示して欲しいと思う。
まず第1は、今世紀央までにどの程度の社会保障費が必要になるかである10。
先に現役世代の不満について述べたが、高齢者については多額の資産を蓄えた富裕層がいる一方、貯蓄を殆ど持たない人達も多数いることを考える必要がある11。また、長い間正規雇用に就けなかった人の多い就職氷河期世代の低年金問題への対処も重要な論点となろう。
第2は、社会保障の財源をどこに求めるかだ。
先に、政府が安易に社会保険料を引上げてきた結果が現役世代の不満として噴出していることを指摘した。富裕層の所得税(ないし相続税)や法人税引上げの余地はあると思うが、巨額の社会保障費を賄うには十分とは思えない。結局、消費税以外に選択の余地がないのであれば、そのことを明確に示して国民を説得する必要がある。
1こうした楽観論については、例えば東京財団政策研究所のReview欄に掲載された拙稿「世界インフレ後の経済政策を考える(3):日本社会の『相対的安定』」(25年2月)を参照。
2少し補足しておくと、厚生労働省の「所得再分配調査」でジニ係数の推移をみると、年金等を除くと収入が殆どない高齢世帯が増加しているため、「当初所得」のジニ係数は大幅に上昇している。しかし、年金受け取り等を含む「再分配所得」ベースのジニ係数の上昇は比較的緩やかというのが実態である。因みに「所得再分配調査」は、現物給付を加味している点に大きな特徴がある。このため、低所得の高齢者への医療・介護、低所得若年層への保育、教育支援は、再分配後のジニ係数の低下要因となる。
なお、日本の場合、経済格差の拡大は米国のような富裕層の突出によるものではなく、貧困層の窮乏化による部分が大きい。この点も含めて就職氷河期世代の実態に関しては、近藤絢子『就職氷河期世代』、中公新書(2024年)を参照。
3このほか、筆者は近年の円安とインバウンド急増が一部の日本人に外国人への反感を生み出したのではないかという仮説を抱いている。「失われた30年」の間に1人当たりGDPなどでみた日本人の豊かさは大幅に低下していた。にもかかわらず、仕事で欧米を頻繁に訪れるビジネスマンなど(彼らはホテル代やレストラン代の高さに辟易していた筈だ)を別にすると、一般国民にはそれを「実感」する機会は少なかった(日本人の海外旅行先は主にアジアだ)。しかし、インバウンドが急増すると、彼らの贅沢振りをみた日本人も「安いニッポン」=日本人が貧しくなったと実感することが多くなり、それが外国人への反感を生んだ可能性がある。
河野龍太郎・唐鎌大輔著『世界経済の死角』、冬幻舎新書(2025年)が「円安とインバウンドで消費者が享受していた消費者余剰が減った」と指摘しているが、これも同様の理解だと思われる。
4第二次安倍政権では、5%から10%まで2度の消費税増税が実現した。しかし、これは①安倍政権が高支持率を誇る長期政権であり、かつ②政権誕生の直前に消費増税に関する自公民の3党合意が成立していた、という特殊な条件に支えられたものである。その安倍政権でさえ2度も増税先送りを余儀なくされたことで、消費増税の難しさが再確認される結果となった。
5もちろん、社会保障費の膨張抑制も行なわれている。その代表が、小泉政権期に行なわれたマクロ経済スライドによる年金の抑制である。ここでは、経済・物価の実績に併せて年金額が決まる仕組みとなっており、出生率が低下したり、経済成長が不振であっても、年金制度自体は維持されることとなる。これは「100年安心」と謳われたが、経済が不調であれば年金給付額は減らされるので、安心なのは年金制度であって、年金を受け取る家計ではない。
6しかも、健康保険組合を有する大企業について言えば、同組合の支出に占める高齢者医療制度への納付金のシェアは4割以上と言われている。
7例えば、宮川努『生産性とは何か』、ちくま新書(2018年)、森川正之『生産性:誤解と真実』、日本経済新聞出版社(2018年)などを参照。
8拙稿「国債市場」を取り巻く将来不安 – 株式会社政策メディア、25年7月
9MMTについては、東京財団政策研究所のReview欄に掲載された拙稿「MMT派の信用創造理解:その貢献と限界」(22年2月)を参照。
10各党の議論を根拠に乏しい主張の言いっ放しとしないためにも、先行きの想定や政策のシミュレーションなどを客観的に行なう独立財政機関を設けるべきだろう。独立財政機関はOECD加盟国の大半で設けられており、その必要性については、経済同友会、関経連といった財界団体からも意見書が出されている。
11貯蓄広報中央委員会による「家計の金融行動に関する世論調査(総世帯)」(2023年調査)によると、世帯主の年齢が70歳代の場合、18.9%が3千万円以上の金融資産を保有している一方、金融資産を保有していない世帯も21.6%に上った。