――東海大学 健康学部 教授――
日本の医療保障制度は、限られた財源の中で持続可能性を確保することが喫緊の課題である。
高齢化の進展、医療技術の高度化、経済成長との乖離による医療費の増大は、制度の持続性を常に脅かし続けている。この状況下で注目される概念が「ワイズスペンディング」である。
ワイズスペンディングの意味と背景
「ワイズスペンディング」とは、限られた財源で最大のアウトカムを得ることを意味する。医療保障の場合では、限られた財源で最大の健康アウトカムを得ることと言い換えられる。具体的には、過剰診療や不要な検査といった無駄な医療を削減し、費用対効果の高い医療に資源を集中することである。この考え方は、国際的に議論される「Value-Based Healthcare(価値に基づく医療)」の理念と重なる。
しかし、ここで問うべきは次の点である。
•何をもって「賢い」支出とするのか。
•何を「無駄」と定義するのか。
•最大の健康アウトカムとは誰にとっての最大なのか。
これらは単なる技術的な測定の問題ではなく、国民の価値観や社会的合意形成に深く関わる難問である。医療は生命や健康に直結するため、単純な経済合理性だけでは判断できない領域である。
合意形成の難しさとステークホルダーの構造
医療政策には、利害の異なるステークホルダーが関与する。大きく分けると、①医療提供者、②患者、③支払者である。
そもそも医療提供者にとって合理的な選択が、患者にとって最善とは限らない。
さらに、支払者側から見れば別の判断基準がある。医療提供者といっても、開業医と勤務医、診療所と病院、病院の規模や設置主体によって利害は一致しない。患者も同様で、感染症患者と慢性疾患患者ではニーズが異なる。
支払者も同一ではない。保険者のほか、国や地方自治体も公費負担者として関与するが、立場はイコールではない。医療提供体制には地域性があり、日本全国で均一な資源分布にはそもそもなっていない。
こうした複雑な構造の中で、政策決定過程は「わかっていても、なかなかできない」という社会的ジレンマ状態に陥りやすい。
厚生労働省は調整役を担うが、行政主導で一方的に決定することは困難である。法制度の改正を伴うケースは、政党や選挙結果などの政治力の影響も少なくない。公費負担が増えると、財務省の影響力も大きくなる。このため、構造改革を伴う大きな変革は合意形成が難しく、社会的ジレンマを生み出している。
医療保障に潜む社会的ジレンマと「コモンズの悲劇」
医療保障は、保険料や公費という「共有財源」を基盤に成り立つ。
公共経済学の概念で「コモンズの悲劇(共有地の悲劇)」という問題がある。誰もが自由に利用できる共有資源があり、有限である場合、それぞれが個々の利益を優先すると、過剰利用で共有資源が枯渇し、全体に不利益をもたらすという問題である。
医療保障にも同様の社会的ジレンマが潜んでいる。そもそも患者は医療サービスの消費者という側面を持つが、一般の商品やサービスの消費者とは随分異なる。一般の商品・サービスの場合では、より安くより良いサービスを受けることを求めるだろうが、患者が求めるのは「病い(illness)」からの解放・回復であり、厳密には医療サービスそのものを欲しているわけではない。しかも、医療には情報の非対称性があり、患者自身が自分に必要なサービスを理解できるとも限らない。さらに、医療サービスの支払いの多くは、患者ではなく、第三者支払いであり、自己負担は重要であってもサービスの価格そのものは重要ではないだろう。他方、医療提供者は、自身の治療によって得られる治療成績向上や報酬評価を求めるだろう。
財源・資源が無限にあれば、全てに対応できるかもしれないが、現実は、財源は限られており、資源も無限にはない。こうした構造の中で、合理的な個々の行動が全体に不利益をもたらす社会的ジレンマが生じるのである。
ローカル・コモンズとグローバル・コモンズ
日本の医療保障のルーツは、連帯・協働・自治による「共助」ないしは「互助」の仕組みを普遍化したドイツの疾病保険であり、「ローカル・コモンズ」として捉えることもできる。
医療保障では、連帯をベースとした一定の集団リスクをプールし、個々のリスクではなく、集団としての平均的な保険料を所得に応じて設定することで、経済的な支払いのために医療サービスを受けられない状態を回避、リスクを上手に分散してきた。
日本では、人口高齢化とともに、集団を超えた、より広い連帯が求められるようになり、他の集団を支える仕組みが組み合わされる複雑な財政構造になっている。これまでは、医療保障の持続可能性を向上させてきた仕組みと評価もできる。だが、今後の人口動態や社会経済構造が大きく変わればさらに複雑にならざるを得ない。当然ながら、集団を超えた平均的な保険料の設定は容易ではない。
社会保険方式であれ、租税方式であれ、医療保障は、疾病リスクのためにプールされた共有の財源・資源によって成り立つことに変わりはない。だが、財源構造が複雑になればなるほど、有限のコモンズであることを認識しにくくなり、誰もが本来は当事者であるにも関わらず誰もが自分は責任がないと感じるようになるのではないか。
さらに、近年は「グローバル・コモンズ」の要素も強まっているように考えられる。新型コロナ感染症パンデミックでも明らかになったが、ワクチン・医薬品供給など、医療資源は地球規模で見ても有限である。医療人材(介護人材等も含む)も有限な資源である。物価高やインフレは、国内経済の動向だけでなく世界経済の影響も受ける。
持続可能性を考えるには、国内だけでなく国際的な視点も不可欠になるなど、これまで以上に難しい局面を迎えている。さらには、プラネタリーヘルスについての責任など、世界的に対応すべき問題も増えてきている。
持続可能性確保のために必要な視点
「コモンズの悲劇」を避けるには、どうすれば良いか。
実際に回避した過去の成功事例として、かつての日本の「里山」が挙げられる。里山は、一種の「ローカル・コモンズ」であるが、地域住民など近隣の利用者を限定し、慣習・規範や管理ルールを設けることで過剰利用を防いできた。現在では、政府による法律や規制、「入会権」の整理など私的区分との明確化、教育・啓発なども手段として活用されてきた。
医療保障においても同様に、どこまでを共有とし、どこから私的区分とするのかについて、Value-Based Healthcareの視点から再整理が必要であろう。また、政策決定過程では、既存制度で固定された個別利益を超越した、国民的な合意形成の仕組みが求められる。
税と社会保障の一体改革を検討する超党派の会議の設置が見込まれているが、2040年以降の近未来の在り方を意識した中立的な会議体の設置が重要である。その上で、ローカル・コモンズならびにグローバル・コモンズの両側面からの医療資源の配分について透明な議論が必要と考える。
これが実現してこそ、はじめて何をもって「ワイズスペンディング」なのかを「見える化」して示すことができる。
「ワイズスペンディング」は単なるコスト削減ではない。社会全体で「賢い選択」を共有し、制度の持続可能性を確保するための仕組みづくりが生まれることを期待したい。