「減税論争」と「国債金利」の異変
日本国債の金利上昇が連日報道されている。報道の多くは日本財政への不安、住宅ローン負担の増加、企業の資金調達コスト上昇といった懸念を色濃く映し出している。
とくに国債市場が緊張したのは、7月20日の参議院選投票日を前にした時期である。国民の間で「減税」や「手取り向上」への期待が高
まる一方、マーケットは冷徹に日本の財政を見つめていた。
この3か月のあいだに顕在化した「国債市場の緊張」を振り返ろう。「超長期金利」に走った衝撃
異変が現れたのは5月下旬。21日、日本国債の30年債・40年債が急騰し、30年債で3.185%、40年債で3.635%と過去最高を更新した。前日の20年債の入札が記録的な不調に終わったことが引き金だった。大幅な値崩れである。
危機感を抱いた日銀は、6月16日~17日の政策決定会合で長期国債買い入れの減額ペースを半減(四半期ごと4000億円の減額方針を2000億円に縮小)。財務省も主要投資家への聞き取りで需要減退を把握し、7月23日には20年~40年債の発行額を減らし6か月~2年の短中期債を増やすという異例の年度内計画見直しに踏み切った。
こうして一時は落ち着きを取り戻した国債市場だったが、7月に入ると金利は再び上昇する。15日には10年債が1.6%に迫り、30年債は3.195%超と再び記録的な水準に達した。
取材に応じた政府高官は、金利上昇の背景を次の3点に整理する。
1.“トランプ関税”表明による市場の混乱(投資家のリスク許容度低下)
2.超長期債の買い手不足(需要懸念)
3.慢性的な財政悪化(財政懸念)
1点目は、4月に米トランプ大統領が相互関税方針を打ち出して以降、市場が大きく動揺したこと。株価だけでなく国債利回りも乱高下し、投資家のリスク許容度が低下して金利上昇圧力が強まった。
2点目は、超長期債の買い手不足だ。これまで30年・40年債は生命保険会社の厚い需要に支えられてきたが、今年度末に導入予定の「経済価値ベースのソルベンシー規制(ESR規制)」に対応するための一時的な需要が落ち着いたことにより、生保の国債購入余力が減退するとの見方が広がった。都銀や海外投資家の売りが需給悪化に拍車をかけたという指摘もある。
そして、この需要面の不安を一段と深刻にしている根本要因が3点目の財政悪化懸念である。トランプ大統領の減税方針やNATO防衛費拡大を背景に世界的に先進国の財政不安が強まるなか、GDP比240%という突出した債務残高を抱え、財政健全化目標も未達の日本は、国際市場からとりわけ厳しい視線を浴びている。需要の揺らぎはこの構造的な財政不安と結びつき、国債金利の上昇圧力をさらに強めているのだ。
こうした背景の下、今夏の参議院選をめぐる「減税論争」は、市場の警戒感を一層高める結果となった。
参議院選挙期間中に高まった警戒感
超長期金利が記録的水準に達した5月、国会では参議院選に向けて「消費減税大論争」が繰り広げられていた。
米価高騰や円安によるインフレで生活苦が広がり、消費税減税を求める声が急激に高まった。立憲民主党の野田佳彦代表は「食料品の税率を1年間ゼロにする」と表明。選挙戦の与党劣勢が伝えられるなか、公明党までもが減税に転じ、自民党の参院議員からも減税を求める声が相次いだ。報道では自民参議院議員の8割が減税を望んでいたという。
与野党が「減税一色」に染まるなか、石破茂首相や加藤勝信財務相は「減税は高額所得者にも恩恵が及ぶ。真に生活困窮層への支援こそ必要だ」と反論したが、内閣支持率は低迷。与党執行部は四面楚歌に追い込まれた。
「日本人ファースト」を掲げた参政党は、プライマリーバランス黒字化目標の否定、国債発行による積極財政を主張し、メディアやSNSでは連日「減税」論が席巻した。
選挙が近づくにつれ、エコノミストや経済記者のあいだでは「トラスショック」のような事態が日本でも起こるのでないかと懸念する声が強まっていった。これは2022年9月、英国のトラス首相が裏付けのない大型減税を発表したことで国債利回りが急騰、ポンド安・株安も加わり、トリプル安を招いた例である。
7月15日、長期・超長期国債は再び高水準を記録した。
国債市場で緊張が高まるなかで迎えた参院選は、与党が過半数を割り、野党の「減税勢力」が躍進する結果となった。
選挙直後の7月23日、40年国債の入札が行われた。懸念されたほどの混乱は起こらず、国債発行の現場は胸をなで下ろしたが、利回りは高水準だった。国債発行を巡る環境の厳しさに変わりはない。政府高官はこう漏らした。
「市場環境によっては、入札が割れるのではないかという不安は常にある。これからも悩みは尽きない」
不安が広がる「買い手不足」
財務省がとりわけ警戒するのは、国債の国内の買い手不足が鮮明になる可能性だ。
日銀は2013年の異次元緩和(QQE)の開始以来、大量に国債を買い入れ、現在は発行残高の約半分の約560兆円を保有している。その多くは銀行が買い入れた国債を買い取ったものであり、結果として銀行の国債保有残高は半分近くまで減少した。
今後、日銀が保有残高を縮小する過程で銀行の買戻しが期待されるが、金融システム安定化を目的とする国際的な金融規制(バーゼル規制)もあり、かつてのように銀行が大量の国債を保有するのは難しい。日銀保有分560兆円に対し、銀行の買い入れ余地は現実的なケースで116兆円にとどまるという試算もある(日本経済センター 2024年10月16日)。
現在は、インフレによる税収増を背景にプライマリーバランス改善に楽観論が広がりやすい局面でもある。しかし、消費者物価指数(CPI)が3%台で推移し日銀が政策金利の引き上げを模索するなか、国債価格の下落(金利上昇)は避けられない。利回り上昇局面では機関投資家が敬遠する傾向が強まり、「誰に売るか」という課題が発行サイドに重くのしかかる。個人や海外勢を見込んだファンド組成など、新たな需要開拓が模索されている。
別の政府高官はこう不安を漏らす。
「与党が衆参で過半数割れするなか、与党は妥協を迫られる。ガソリン暫定税率廃止では一年あたり1.5兆円が必要になる。同じく、高校授業料無償化0.4兆円、給食費無償化0.5兆円、0~2歳児保育料無償化0.6兆円……。各党の公約を予算に盛り込めば、毎年膨大な財源が必要になる。さらに経済安全保障等を目的とした半導体などの個別産業支援、米政策の転換を背景とした農家対策、各種の物価高騰対策など、政府への支援拡大を求める意見に耳を傾ければ2~3兆円はすぐに膨らむ」
とくに注目されるのは、今年度で失効する赤字国債発行を認める「特例公債法」の扱いだ。来年1月の通常国会で議論される見通しで、積極財政派から、現行の5年期限ではなく恒久化を求める声が出る可能性がある。これが実現してしまえば国会の財政チェック機能は後退し、日本財政への懸念は一層強まるだろう。
こうした状況を見かねたのだろう。『文藝春秋』9月号には三井住友フィナンシャルグループの中島達社長が登場し、「国債格下げに気を付けろ――消費減税論にメガバンク・トップが警鐘を鳴らす――」と題して警鐘を鳴らした。格付けが下がれば、日本企業は海外での資金調達に大きな困難を抱えることになる。
「指標見失った」金融政策
参議院選を通しての市場動向を振り返れば、日本国債は複合的要因が重なれば容易に金利急騰に見舞われることが分かる。
とくに重要なのは、市場金利が経済の「正常」と「異常」を見極めるシグナルとして機能しているのかという根本的な議論が、いまや脇に追いやられていることである。
元日銀物価統計課長で楽天経済研究所の愛宕伸康所長はこう警告する。
「財政赤字は国債発行の増加を招き、やがて金利上昇につながる。金利が上がれば投資や消費が抑制され、民間需要は縮小する。この『金利による抑制メカニズム』が働くことで、政府は財政赤字の是正を迫られる。だからこそ、かつての日銀は長期国債買い入れを一定のルールを設けて抑制し、市場が金利を決める仕組みを守るという強い信念を持っていた。しかし異次元緩和とYCC導入以降、市場への謙虚な姿勢は失われ、あたかも日銀が金利を自在に操れるかのような錯覚が流布されてしまった。人間の手が“神の手”であるはずがない。これは極めて危うい状況だ」
現在、日銀は「金融正常化=引き締め」を演出しているが、政策金利0.5%はCPI3%下では実質マイナス2.5%である。依然として緩和基調を維持し、インフレを事実上容認しているともいえる。
背景には巨額の国債残高による利払い費急騰リスクがあることは言うまでもない。日銀は物価目標より財政負担の制御を優先せざるを得ない構図に陥っている。インフレに苦しむ国民が減税を掲げる政党を支持するなか、日銀は財政への従属度を高めつつ、効果の薄い物価対策を強いられているわけだ。
日本は膨大な債務と異次元緩和の「後始末」を、いつ、どのような形で果たすのか――。その答えを市場は鋭く見極めようとしている。