――中央大学 戦略経営研究科(ビジネススクール) 教授
多摩大学大学院特任教授 医師――
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なぜ医療分野に「経営」が必要か
前回、身近なところで、医療機関、すなわち病院や診療所、薬局(もともと株式会社経営が認められているので少し異なるが)に経営という概念が必要な理由を述べた。
連載2回目の今回は、やや抽象的ではあるが、医療機関のみならず医療「分野」になぜ経営が必要なのかを、少し前回と重なる部分もあるが、同じくドラッカーを参照としながら見てみたい。
私の書籍もそうだが、「医療経営」という表現が用いられるゆえんでもある。
現代の医療は、単に病気を治療するだけではなく、予防、健康増進、介護、リハビリテーション、さらには死に至るまでの人間のライフサイクル全体に関与する、極めて複合的な社会システムへと変貌を遂げている。こうした医療の構造的変化に対応するには、医学・看護・薬学といった専門知識に加え、「経営」の視点が不可欠である。
本稿では、医療機関に限らず、制度設計・政策立案・産業振興を含めた広義の医療分野にとって、経営的思考がいかに本質的であるかを明らかにする。
医療は「知識社会」の象徴である
ドラッカーは20世紀後半から21世紀にかけて、産業社会から「知識社会」への移行を強調した。知識社会においては、物的資源ではなく“知識”こそが最大の生産手段であり、知識労働者(ナレッジワーカー)が中心的役割を担う。
この視点に立てば、医療はまさに知識社会の中核に位置する分野である。医師、看護師、薬剤師、技師、保健師など、あらゆる医療従事者は高度な専門知識と技能を有するナレッジワーカーである。彼らが持つ知識を有機的に結び付け、患者や社会に対して最大限の価値を創出するには、「マネジメント」という技術が必要となる。つまり、医療の知識と実践がバラバラに機能するのではなく、目的と使命に沿って体系的に統合される必要がある。
ドラッカーのマネジメント観は、最終的には「社会にとって価値ある成果を生み出す」ことを目指す。
医療分野におけるマネジメントとは、単なる効率化ではなく、
・地域医療の持続可能性を確保し、
・専門職が誇りをもって働き、
・患者が信頼と納得のうちに医療を受けられる社会
をつくるための「知的かつ実践的な仕組み」と言えるのである。
成果は「医療システム」全体で考えるべきである
ドラッカーは「成果は外にある」と繰り返し説いた。
組織や分野の成果とは、内部ではなく外部の受け手、すなわち社会や顧客(患者や国民)にとっての価値である。この考えを医療分野に応用すると、「医療の成果」とは単に医療機関が行う治療の質にとどまらず、社会全体における健康水準の維持・向上、疾病の予防、公平なアクセス、医療費の持続可能性といった多様な側面が含まれる。つまり、医療の成果は個別機関の努力だけで測られるものではなく、医療政策、教育機関、産業界、行政、地域社会などを含む「医療システム全体のマネジメント」が問われるのである。
この観点から、医療分野には、国や地方自治体の「管理」だけでなく、「経営(マネジメント)」の視点が不可欠となる。異なる立場のプレイヤーを調整し、共通のミッションに基づいて資源を最適に配分し、社会にとっての最大利益を実現することこそが、経営の役割である。
経営はイノベーションをもたらす
ドラッカーは、「企業の目的は顧客の創造である。そのために企業には2つの基本的機能、すなわちマーケティングとイノベーションが必要である」と述べた。
この原理は医療分野にも当てはまる。
医療分野のプレイヤーがすべて企業かどうか議論があるかもしれないが、日本を含む先進国では、高齢化、慢性疾患の増加、労働力不足、財政的制約などにより、従来の医療提供モデルが限界を迎えている。そこに必要なのは、医療の質を維持しながら効率性や持続可能性を高める「社会的イノベーション」である。
たとえば、遠隔診療やAIによる診断支援、オンライン服薬指導、地域包括ケアなどは、いずれも医療分野における経営的発想とイノベーションの結晶である。医療従事者だけではなく、経営者、政策立案者、ICT技術者、データアナリストなど多様な専門家が連携する「知の協働」が、医療分野全体に変革をもたらす鍵となる。
非営利性と経営の共存
医療分野は、その公益性や倫理性から「非営利」の価値が重視される分野である。これは当然のことではあるが、だからといって「経営」が不要であるわけではない。
ドラッカーはむしろ「非営利組織こそ、最も厳格に成果を問わなければならない」と述べている。
なぜなら、非営利的使命(全ての人に平等な医療を提供する、地域の健康格差を是正する等)を掲げるからこそ、その実現のためには限られた資源を有効に使い、戦略的に活動する必要がある。
医療費は無限ではない。
予防と治療、都市と地方、高度医療と日常的医療のバランスを見極め、限られた財源と人材をいかに配分するかという「経営判断」が求められる。
ミッション志向のマネジメント
ドラッカーは経営における最も重要な要素は「ミッション(使命)」の明確化だと説いた。
企業であれ、行政であれ、大学であれ、そして医療であれ、「われわれの存在目的は何か?」という問いに答えることが出発点である。
医療分野においても、ミッションの再定義が求められている。高度な技術を追求するだけでなく、誰もがアクセス可能な医療、生活の質(QOL)を高める医療、地域と共にある医療をいかに実現するか──こうした社会的価値を見据えた全体戦略が不可欠である。
たとえば、国の医療政策(地域医療構想)、自治体の保健福祉計画、民間の健康関連サービスなどが、すべて同じ社会的ミッションに基づいて設計され、統合される必要がある。このとき、組織横断的にリーダーシップを発揮し、協働を促すマネジメントの視座が極めて重要となる。
知識労働者を活かす「仕組み」の構築
ドラッカーは、「ナレッジワーカーは自律的に成果を上げるように動機づけられなければならない」と述べ、管理よりも支援・環境整備の重要性を強調した。
これは医療従事者に対してもまさに当てはまる。
医療分野においては、専門性が高く、職種間の連携が複雑であるがゆえに、職場の文化や意思決定プロセス、情報共有の仕組みなど、「制度的マネジメント」が鍵を握る。ここでも経営の役割は、権限を集中させて管理することではなく、「現場が自律的に機能する環境を整えること」である。
医療の未来を支える「全体最適」としての経営
ピーター・ドラッカーの経営思想は、「人と組織をして成果をあげさせる」という極めて実践的で倫理的なものである。
医療分野においては、専門職の倫理と公共的使命が重視されるが、それだけでは未来を切り拓くことはできない。むしろ、経営という視座を導入することで、複雑で断片化された医療の各要素をつなぎ合わせ、「全体最適」を目指すことができるのではないか。
医療の本質は人を支えること。その目標を実現するためにこそ、ドラッカーが説いたマネジメントの知恵が必要なのである。
次回以降、時事的な評論も行うが、筆者の方向性は、前回と今回に記載した内容に基づく。
参考文献
『マネジメント[エッセンシャル版]――基本と原則』 ピータードラッカー(上田惇生訳、ダイヤモンド社、2001年)
『非営利組織の経営――使命・成果・リーダーシップ』ピータードラッカー(上田惇生訳、ダイヤモンド社、1991年)
原著:Managing the Non-Profit Organization: Practices and Principles(1990年)
『プロフェッショナルの条件――いかに成果をあげ、成長するか』ピータードラッカー(上田惇生訳、ダイヤモンド社、2000年)
「はじめての医療経営論」真野俊樹 (中央大学教授、多摩大学特任教授)/編著2020年12月
真野俊樹 中央大学 戦略経営研究科(ビジネススクール) 教授 多摩大学大学院特任教授 医師
1961年生まれ。名古屋大学医学部卒業。総合内科専門医、日本医師会認定産業医、医学博士・経済学博士。臨床医、製薬企業勤務などを経て現職。